スリル満点でした
ハイサイ一日一生お天道様ありがとう 今日も絶好調
ご愛読に感謝!、感謝!、感謝! 今日も調子が
いつもツイている狂気と無頼の男ノブでございます
おはようございます
早寝早起き インフル予防
またまた オジサンスタイル 早くから目が覚めました
すっかり秋の趣ですね
ブログの移転では 大変ご迷惑をおかけしております
コメントの際にはお手数ですが 左のブログ記事から当該記事に入り
その下段から書き込み
一旦 確認を押した上 進んでください
可及的速やかに 承認の上掲示させていただきますので
単に書くのが楽なので 移設しただけなのですが
ご心配をおかけいたしました どーもすいません 三平風に 笑
久しぶりに 少しだけ二日酔いです
たまに お酒を飲むとこれだから 少し辛いものですね
そんなボーっとした朝 ふと思い出したお話ですが
かなり前のお話になりますが
家族で 10年以上前に そーです まだチビの生まれる前に
沖縄・伊江島へ遊びに行った時のお話でございます
当時 友人の計らいで格安で遊びに行けるということで
奮発して チャーターの小型機で 那覇空港から向かいました
その航空会社は 今はなき エアー・ドルフィン
セスナ機だったんです
出発前に 空港の内部をいろいろと見せていただき
搭乗し 離陸待ち なんと その時 航空自衛隊のファントムに挟まれ
ドキドキしながら離陸
伊江島まであっという間の飛行でしたが その時実感したのが
やはり 基地の島
空から見えた景色は 巨大な米軍基地の姿でした
聞くところによると沖縄の空の管制もいまだに 嘉手納の米軍が行っているとか
何度も 周りにF15の姿を見ました
万座毛 や 残波岬を空から 見つつ
通称・ゾウの檻 楚辺通信所なども確認
無事伊江島の 農業用の空港に着陸いたしましたが
迫力がありましたね
いまでは 不採算のため この会社もなくなったとか
当時 特価とはいえ 一人5000円ほどで この貴重な体験をいたしました
高所恐怖症も忘れ 見たことのない景観にスリルとともに引き込まれたものでした
懐かしいですね
なんとも思い出日記のようですが
あっという間の 昔のお話
あの時君は若かった ではありませんが
まだ30代 やはり元気だったのですね
さてさて 頭も冴えてまいりました
気持ちだけは20台で頑張ってまいりますか
さー 今週も楽しく元気に参りましょう
ホ・オポノポノ
I am sorry ごめんなさい
Please forgive me 許してね
I love you 愛してる(大切だよ)
Thank you ありがとう
ではでは 皆さま
季節の変わり目 体調管理にご注意くださいね
さー 一日ベストを尽くして楽しみながら働き、そして遊びまし
ょう
自分らしく 自分にしかないものを大切に 自分の力で
力強く生きてまいりましょう
拙者これ以外にとりえがございませんので 笑
では 今週も ニコニコと 元気に
『怒らず イライラせず 』でビシビシ参りましょう
ではまた
しつこいようですが
パーフェクトぺリオについてのお問い合わせ
お口の悩みなど個別にご相談のある方は
こちらまで遠慮なくどうぞ
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投稿者: nobu 日時: 2009年9月29日 06:11VIVA 沖縄(305)| コメント (6)
コメント(6)
スリル満点とはいえ冷や冷やですよね。
滅多に無い貴重な体験でしたね~~
民主党の掲げる基地問題はどうなるでしょう?
沖縄行けば基地だらけで、横須賀辺りとは
違った雰囲気なので「戦争」の反省は何処?
と思ってしまいました。
なのに沖縄の人達は明るくて、家族思いですよね。
琉球の昔から「虐められっ子」と感じてます。
ノブ先生は数えきれないほど、島巡りしてますね(感心)
ダイビングを始めたのは何歳からですか?
お友達か親戚の影響ですか?
ミコちゃんさん
おはようございます
はい スリル満点 なかなかの体験でした
伊江島も米軍のパラシュート演習場のあるところです
基地の県外移設 はたして 上手く行くのでしょうか
島めぐりですが おかげさまで かなりさせていただきました
これも家内の理解のおかげです
ダイビングは 32歳から始めました
なかなか機会がなかったのですが いい師匠とめぐり合い
その 二年半後には インストラクターになっておりました
当時は 休みといえば 伊豆 真鶴
家庭を顧みずもぐり続けておりました
いまや 当時の余力で楽しむ そんな感じですが
不謹慎ながら ごく初心者の頃海で危ない思いをして 生きていることの素晴らしさを実感し
そこから 海の魅力に魅入られたのがすべてかもしれません
おかげさまで 温暖化の影響でサンゴが死滅減少する前の 素晴らしい海をたくさん楽しむことができました ほんと 綺麗でしたよ 当時の海は
何とか次の世代にも見せてあげたいものです
ノブ先生は18歳くらいからダイバーだと
思ってました。
32歳からだったら 相当運動神経や勘が良いのですね。
クレヨンしんちゃんの作者が遺体で発見されましたね。
荒船山は初心者コースですが、途中崖が有ると
前・投稿しましたよね?
そこは草で覆われていて 一歩踏み出すと落ちます。
私も上州の山で「木の実」を拾っていて
落ちそうになった経験が・・・
どんなベテランでも低い山でも 自然は怖いですよね。
藤田が欠かさず見てた「しんちゃん」
バラッド観に行った日にニュースで知り
残念でたまりません。
生きているって素晴らしいことですね。感謝!!
いえいえ
運動神経は並です いえいえ ないほうかもしれません
とくに長距離走などは大の苦手で 大学の部活でも後輩をつきあわせ いつもチンタラ走っていたぐらいですので
何と泳ぎも潜りを始めた当時は苦手で 志茂のコアラで
ほぼ二年間毎週マンツーマンのレッスンを受け 当時は週に三回は2000m泳いでおりました
ダイビングも 生き物好き 名前覚えるの得意 といった才能はありましたが
年も年でしたので 同期の仲間より少しだけ抜きんでていたのは 海での判断力だけでした
ある意味 凝り性なので 一気に駆け抜けたようなものでした
そして 一回りも下の仲間に励まされ 実地もクリアした次第です
今ではあのトレーニングのおかげで 少しだけ寿命が延びたように感じております
本当はまたトレーニングしなければならないのですが
ところであの事故は残念でしたね どこに落とし穴があるのかわからないのが
自然の怖いところなのでしょうか
やはり 海も山も それに相対した時は 常に謙虚な気持ちを忘れてはいけないのですね
夫も藤田も帰宅遅いし ドライフラワーの花材は
届くのが夜 暇なもので又々投稿お許し下さい。
物事を究めるという人は 努力も相当されてるのですね。
コアラとは懐かしい!娘や藤田が通った所です。
仕事に対してもダイビングと同じ姿勢が
感じられます。
だって・ブログ拝読してると 毎日多忙にも関わらず
講演会やら何やら出席されて、勉強してますものね。
私の方が一回り以上年上ですが、同じ人生なら
ノブ先生のように中身の濃い日々を送りたいですね。
「徹子の部屋」に「白洲信哉」さんが出てました。
そうです次郎&正子の孫 小林秀夫の孫です。
「華麗なる一族」とは彼のような人を・・ですね。
フツー以下でしたが 私の祖父母達も優しくて
涙もろく 父方も母方も大好きでした。
いえいえ 大歓迎ですよ
ドライフラワー また ブログで不定期でも結構ですから
御披露されたらいかがでしょうか
ファンはたくさんおりますよ
コアラですが まさしく我が家の長男次男もお世話になりました
そんなことから 個別に当時のチーフの小林さんにお願いして
インストラクターの検定の基準タイムをクリアすべく 少しだけ頑張りました
幾つになってもやればできると かけがえのない財産をいただきました
英会話 沖縄の三線 ロングボードサーフィン など
ものにしたいものはまだまだたくさんございますが
当面は仕事 一つの自分のスタイルを確立したいと考えております
やはり 目指すは ナンバーワン より オンリーワンですね
小生の祖母は二人とも信心深い優しい人でした
気を使って 高校の時から タバコ 酒
用意して勧めてくるような素敵な人でした
悪戯をすると 飛騨弁で 「だちかんぞ」としかるので
だちかん婆ちゃんと言っていたのが懐かしく思い出されます
ありがたいですね ほんと
スリル満点とはいえ冷や冷やですよね。
滅多に無い貴重な体験でしたね~~
民主党の掲げる基地問題はどうなるでしょう?
沖縄行けば基地だらけで、横須賀辺りとは
違った雰囲気なので「戦争」の反省は何処?
と思ってしまいました。
なのに沖縄の人達は明るくて、家族思いですよね。
琉球の昔から「虐められっ子」と感じてます。
ノブ先生は数えきれないほど、島巡りしてますね(感心)
ダイビングを始めたのは何歳からですか?
お友達か親戚の影響ですか?
ミコちゃんさん
おはようございます
はい スリル満点 なかなかの体験でした
伊江島も米軍のパラシュート演習場のあるところです
基地の県外移設 はたして 上手く行くのでしょうか
島めぐりですが おかげさまで かなりさせていただきました
これも家内の理解のおかげです
ダイビングは 32歳から始めました
なかなか機会がなかったのですが いい師匠とめぐり合い
その 二年半後には インストラクターになっておりました
当時は 休みといえば 伊豆 真鶴
家庭を顧みずもぐり続けておりました
いまや 当時の余力で楽しむ そんな感じですが
不謹慎ながら ごく初心者の頃海で危ない思いをして 生きていることの素晴らしさを実感し
そこから 海の魅力に魅入られたのがすべてかもしれません
おかげさまで 温暖化の影響でサンゴが死滅減少する前の 素晴らしい海をたくさん楽しむことができました ほんと 綺麗でしたよ 当時の海は
何とか次の世代にも見せてあげたいものです
ノブ先生は18歳くらいからダイバーだと
思ってました。
32歳からだったら 相当運動神経や勘が良いのですね。
クレヨンしんちゃんの作者が遺体で発見されましたね。
荒船山は初心者コースですが、途中崖が有ると
前・投稿しましたよね?
そこは草で覆われていて 一歩踏み出すと落ちます。
私も上州の山で「木の実」を拾っていて
落ちそうになった経験が・・・
どんなベテランでも低い山でも 自然は怖いですよね。
藤田が欠かさず見てた「しんちゃん」
バラッド観に行った日にニュースで知り
残念でたまりません。
生きているって素晴らしいことですね。感謝!!
いえいえ
運動神経は並です いえいえ ないほうかもしれません
とくに長距離走などは大の苦手で 大学の部活でも後輩をつきあわせ いつもチンタラ走っていたぐらいですので
何と泳ぎも潜りを始めた当時は苦手で 志茂のコアラで
ほぼ二年間毎週マンツーマンのレッスンを受け 当時は週に三回は2000m泳いでおりました
ダイビングも 生き物好き 名前覚えるの得意 といった才能はありましたが
年も年でしたので 同期の仲間より少しだけ抜きんでていたのは 海での判断力だけでした
ある意味 凝り性なので 一気に駆け抜けたようなものでした
そして 一回りも下の仲間に励まされ 実地もクリアした次第です
今ではあのトレーニングのおかげで 少しだけ寿命が延びたように感じております
本当はまたトレーニングしなければならないのですが
ところであの事故は残念でしたね どこに落とし穴があるのかわからないのが
自然の怖いところなのでしょうか
やはり 海も山も それに相対した時は 常に謙虚な気持ちを忘れてはいけないのですね
夫も藤田も帰宅遅いし ドライフラワーの花材は
届くのが夜 暇なもので又々投稿お許し下さい。
物事を究めるという人は 努力も相当されてるのですね。
コアラとは懐かしい!娘や藤田が通った所です。
仕事に対してもダイビングと同じ姿勢が
感じられます。
だって・ブログ拝読してると 毎日多忙にも関わらず
講演会やら何やら出席されて、勉強してますものね。
私の方が一回り以上年上ですが、同じ人生なら
ノブ先生のように中身の濃い日々を送りたいですね。
「徹子の部屋」に「白洲信哉」さんが出てました。
そうです次郎&正子の孫 小林秀夫の孫です。
「華麗なる一族」とは彼のような人を・・ですね。
フツー以下でしたが 私の祖父母達も優しくて
涙もろく 父方も母方も大好きでした。
いえいえ 大歓迎ですよ
ドライフラワー また ブログで不定期でも結構ですから
御披露されたらいかがでしょうか
ファンはたくさんおりますよ
コアラですが まさしく我が家の長男次男もお世話になりました
そんなことから 個別に当時のチーフの小林さんにお願いして
インストラクターの検定の基準タイムをクリアすべく 少しだけ頑張りました
幾つになってもやればできると かけがえのない財産をいただきました
英会話 沖縄の三線 ロングボードサーフィン など
ものにしたいものはまだまだたくさんございますが
当面は仕事 一つの自分のスタイルを確立したいと考えております
やはり 目指すは ナンバーワン より オンリーワンですね
小生の祖母は二人とも信心深い優しい人でした
気を使って 高校の時から タバコ 酒
用意して勧めてくるような素敵な人でした
悪戯をすると 飛騨弁で 「だちかんぞ」としかるので
だちかん婆ちゃんと言っていたのが懐かしく思い出されます
ありがたいですね ほんと