明治は遠くなりにけり .............
ハイサイ一日一生お天道様ありがとう 今日も絶好調
ご愛読に感謝!、感謝!、感謝! 朝聞夕改
いつもツイている狂気と無頼の男ノブでございます
おはようございます
早寝早起き インフル予防
またまた オジサンスタイル 早くから目が覚めました
朝晩少しづつですが 寒くなりつつありますね
いよいよ 冬仕度といったところですが
でも おかげさまで 申し訳ないほど元気です
そんなわけで ビシビシとお仕事できそうです
おかげさまで のんびりと過ごすことができました
読みたかった本も読め
アジア大会のサッカー男子の金メダルに感動し
リフレッシュして 金曜日を迎えることとなりました
さて なんとも ノスタルジックな そんなタイトルですが
過日 再放送の 「坂の上の雲」を見ていて
明治時代の これから飛躍しようとする国の
そんな 熱い光景を見て ふと浮かんだのが
この一句でした
この歌詞を見ていると きっと 北のあの国でも 兵士たちは みな こんな感慨に浸っているのではと 考えました どんなに権力者が 勝手な妄想を抱いても 目の前の凄惨かつ恐怖の光景は 誰しも 忌諱するでしょうし しかし その後の戦争ですべてが リセットされてしまいましたが
この歌詞のような 感慨を持って
満洲へと 人々が向かい 戦った
平和ボケの小生等には まさに隔世の感がございます
さて 本日もしっかりお仕事してまいりますか
さー 今週も楽しく元気に参りましょう
ホ・オポノポノ
I am sorry ごめんなさい
Please forgive me 許してね
I love you 愛してる(大切だよ)
Thank you ありがとう
ではでは 皆さま
季節の変わり目 体調管理にご注意くださいね
さー 一日ベストを尽くして楽しみながら働き、そして遊びまし
ょう
自分らしく 自分にしかないものを大切に 自分の力で
力強く生きてまいりましょう
拙者これ以外にとりえがございませんので 笑
では 今週も ニコニコと 元気に
『怒らず イライラせず 』でビシビシ参りましょう
ではまた
しつこいようですが
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投稿者: nobu 日時: 2010年11月26日 07:30吠えてぼやくオジサン(113)| コメント (2)
コメント(2)
昭和21年生まれとしては 複雑ですね~
小4の時の教諭は「日本のお父さん・お母さんは
天皇陛下と皇后陛下」と言ってたし
小6の教諭は外地からの「生き残り」
授業の度に「米兵の襲撃から逃れるため
ジャングル彷徨った。食べる物が無くてヘビ食べ
それが捕まえられない時は 靴まで食べた」と悲惨話ばかり~
親戚のおじいちゃんはシベリアの捕虜になり
「周りは寒さと餓えでバタバタ死んだ。オラは血圧高かったから
何とか帰って来たが、痔で悩まされてる」と話。
そんな環境で育ったせいか 戦争は最も憎んでます。
いつの世も犠牲になるのは 善良な市民ですもの。
明治の気骨は無かったけど 父は障害者に優しく
目・耳等不自由な人からは お金を受け取らず
逆に菓子や果物あげてました。
その父が明治の精神見せたのが 次女の嫁VS舅・姑問題
無理矢理嫁がせ「可哀相に実家帰っておいで」の母に対し
父は「一旦嫁いだ者は 里帰り以外敷居跨いではダメ」の
一点張りでしたが・・ 小心者だから布団被って「〇〇可哀相」
と、泣いてました。 伯母・叔父も明治生まれ
皆亡くなりましたが 気骨は有りました。
故作曲家・吉田正が「友が皆戦死し 自分だけ生きてるのが
申し訳ない」と語ったのが 印象的でした。
ミコちゃんさん
おはようございます
こんな歌が実感される時代がかってあったことなど
なかなか思い浮かばないものですね
やはり風化させず 語り継いでいくべきものなのですね
歴史から学び
特に ご存命のお年寄りからお話を伺うこと
とても大切なことですね
過去があっての 現在ですからね
昭和21年生まれとしては 複雑ですね~
小4の時の教諭は「日本のお父さん・お母さんは
天皇陛下と皇后陛下」と言ってたし
小6の教諭は外地からの「生き残り」
授業の度に「米兵の襲撃から逃れるため
ジャングル彷徨った。食べる物が無くてヘビ食べ
それが捕まえられない時は 靴まで食べた」と悲惨話ばかり~
親戚のおじいちゃんはシベリアの捕虜になり
「周りは寒さと餓えでバタバタ死んだ。オラは血圧高かったから
何とか帰って来たが、痔で悩まされてる」と話。
そんな環境で育ったせいか 戦争は最も憎んでます。
いつの世も犠牲になるのは 善良な市民ですもの。
明治の気骨は無かったけど 父は障害者に優しく
目・耳等不自由な人からは お金を受け取らず
逆に菓子や果物あげてました。
その父が明治の精神見せたのが 次女の嫁VS舅・姑問題
無理矢理嫁がせ「可哀相に実家帰っておいで」の母に対し
父は「一旦嫁いだ者は 里帰り以外敷居跨いではダメ」の
一点張りでしたが・・ 小心者だから布団被って「〇〇可哀相」
と、泣いてました。 伯母・叔父も明治生まれ
皆亡くなりましたが 気骨は有りました。
故作曲家・吉田正が「友が皆戦死し 自分だけ生きてるのが
申し訳ない」と語ったのが 印象的でした。
ミコちゃんさん
おはようございます
こんな歌が実感される時代がかってあったことなど
なかなか思い浮かばないものですね
やはり風化させず 語り継いでいくべきものなのですね
歴史から学び
特に ご存命のお年寄りからお話を伺うこと
とても大切なことですね
過去があっての 現在ですからね